院長 井出研一 のご紹介

急死に一生から得た歯科医師としての使命

院長 井出研一
略歴、紹介 出身:鶴見大学歯学部卒
趣味:釣り、海で遊ぶ、船
血液型:B型
動物占い:まっしぐらに突き進むゾウ
研修会実績 ニューヨーク大学インプラントセミナー
ボストンPRD
歯周内科研究会セミナー
床矯正研究会セミナー
JIADSペリオコース
JIADSインプラントコース
JIADS補綴コース
JIADSエンドコース
JIADSペリオ・インプラントアドバンスコース
JIADSカダバーコース
SJCDスタンダードコース
CHP(HTP)受講
  
※その他多数修了実績あり
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生死をさまよう事故、そして歯科医師への転機

「もう研一はダメだ・・・社会復帰は難しいだろう。」

集中治療室にいる私の姿を見た父は、母にそうつぶやいたそうです。

歯学部の大学生時代、晴れた日の鎌倉の海でのことでした。
その日は天気も良く、波も高かったことから、サーフィンが趣味の私はいつも以上に気分良く海と戯れていました。

海に飛び込むときの爽快感が好きな私は、いつものように勢いよく頭から海に飛び込んだ、その時でした。

『ゴスッ』

なんと、飛び込んだ場所に大きな岩があり、頭に直撃してしまったのです。ぶつけた瞬間は何が起きたのか分かりませんでした。幸いにも意識を失うことはなかったのですが、強烈な首と喉の痛みに混乱しながらも、このままでは溺れてしまうと無我夢中で陸に戻りました。

陸には辿り着きましたが、激痛で動くこともままなりません。実は、そこからはあまり覚えていないのですが、なんとか友人に携帯で連絡を取り、自宅に連れて行ってもらいました。

楽観的な私は、「寝ていれば治るだろう」と安易に考えいたのですが、どうにも痛みがおさまりません。そして、医師である父が仕事から帰ってきて、私の状態を見るや顔色を変えて、私のことを病院へ連れて行きました。

そして、検査の結果は、3本の頸椎骨折。首の骨が折れていました。

それからは、丸3日間集中治療室での入院です。これは後で聞いたことなのですが、この時の診断では『運良く命が助かっても、半身不随などの後遺症が残るでしょう』というものでした。

その時の、両親の絶望感は大変なものだったようです。

厳しかった両親との思い出

父親は昭和一桁世代なので、非常に厳格な親で、殴られるのは当たり前でした。箸の持ち方から、歯ブラシの仕方まで厳しく躾をしてもらっていました。

ただ、夏休みに八ヶ岳に連れて行ってもらったり、キャッチボールや釣りを一緒にしたりもしてくれたのが思い出として残っています。私は釣りが大好きなのですが、それは、父親と行った釣りに行ったときに、オコゼがつれたのがきっかけでした。
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また、母は、どんなときも私を信じてくれた人です。小さいときに、簡単な嘘をついてもいつも信じてくれていました。ただ、普段は非常に優しい母ですが、父親同様、躾には大変厳しい母でした。

しかし、私も親となり子育ての大変さを実感し、当時の厳しさと厳格さを思い出すと、本当に感謝していますし、尊敬できる自慢の両親です。

そんな両親へ、大学生になって大事故という最大の親不孝をしてしまったのでした。

私が歯科医師を目指したきっかけ

実は、この時は既に国家試験も受かり、歯科医師としてのスタートを切ったばかりの頃でした。
私が歯科医師になろうと思ったのは、元々スポーツが好きだったため、歯と運動の関係に興味を持ったことがきっかけでした。

また、私の父親は医者で、叔父と祖父が歯科医師だったために、子供の頃から医療現場に親しみがあったことも大きいと思います。

中学校、高校とあまり勉強をしていなかったため、大学受験には非常に苦労しましたが、それでもなんとか志望していた大学に受かることが出来ました。

また、大学では講義や研修が大変ではありましたが、趣味のサーフィントライアスロンを楽しみながら、充実した日々を過ごしていました。ちなみにトライアスロンではインストラクターを務めるなど、かなり本格的に行なっていました。
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実は、トライアスロンに夢中になりすぎて成績が下がり、「井出は終わった」とよく言われていたくらいでした。しかし、毎年、留年すると言われながら留年せずに卒業でき、さらに国家試験にも無事合格することができました。
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事故は、夢へと順調に近づいていた矢先の出来事だったのです。

医師も絶望する状態からの復帰、そして芽生えた私の使命

私の状態は、本当に死んでもおかしくない状態だったそうです。それを物語っているのが、集中治療室にいる間に診察に来る先生、来る先生が、絶望的な顔をすることでした。

しかし、しばらく入院して治療を受けた結果、奇跡的な回復を果たしたのです。

身体に麻痺も残らず、正常に社会復帰できるのは100人に1人いるかどうかというくらいの奇跡だったようです。

両親も、私の復調に涙して喜んでくれました。そして、私はこの奇跡を経験することで、「生かしてもらった」ということを強く実感しています。そして、それが今持っている歯科医師としての使命に繋がっています。

ただ、首が折れたことで、以前に大好きだったスポーツはできなくなってしまいました。それは私にとっては本当に辛く、しばらくは立ち直ることができませんでした。

しかし逆に、怪我をしていなければ、今ほど真剣に歯科医師という仕事をしていることはなかったのではないかと思っています。

また、耐え難いような痛みを味わい、身体が自由に動かない中で、「普通に生活できることというのは凄いことなんだ」「健康は本当に大切なものなんだ」ということを心から実感しました。

この痛み、不自由さを自分でも味わったことで、当院にいらっしゃる患者様のお悩みや、生活の不自由さに、心から共感することができるようになったのではないかと思っています。

「せっかくもらった命、助かった命なので、歯科医師として全力で貢献しよう」と心から思うのです。

ですので、最近では事故があったのは良かったのかもしれないとも思っています。なぜなら、歯科医師として皆様に貢献することが自分の『使命』であると強く認識することができたからです。

そして、夢だった「研歯科クリニック」の開業と苦労

当院は8年前に開業し、今でこそ多くの患者様にご来院頂いておりますが、当初は苦労の連続でした。開業して半年位には、お昼ご飯も食べられず、飲み物も買えないような時もありました。学生時代以上の極貧生活です。

しかし、地道に治療をこなしていくうちに、多くの患者様から信頼して頂き、そして支えられてきました。そして優秀なスタッフがそろい、今の当院の状況となったのです。

このような以前の苦労があるから、今の当院があるのです。それを考えると、患者様やスタッフへの感謝は尽きません。

当院のコンセプトと、患者様への想い

私は開業するときに、『自分らしいスタイルの歯科医院』を作ろうと思い、実際に私の想いを注ぎ込みました。

それは例えば、院内は水槽を置き、海をイメージした広々とした診療スペースにして、患者様心からリラックスしていただきたいという想いが込められています。また、診療については本当の意味での患者様目線を大切にしようというのが当初からのコンセプトです。
多くの患者様は歯科医院に対して恐怖心や不安をお持ちです。当院では、患者様の恐怖心を少しでもやわらげるために、ゆっくりとお話をお伺いすること、丁寧な説明、なるべく痛くない治療を大切にするなど、『自分でも通いたくなる歯科医院』を目指しています。

また、以前は「より良い治療を提供すること」が何よりも大切なことだと思っていたのですが、今はそれだけではなく、『患者様が将来どうなりたいのか?』『どんな治療を希望されているのか?』ということを理解し、尊重した上で質の高い治療を提供したいと想っています。

いい治療をするだけでなく、なぜ悪くなったのかを歯科医師が把握し、患者様に伝え、理解していただかなくては、いずれまた治療が必要になってしまいます。

ですので、私が大切にしているのは、『なぜ悪くなったのか』に対して分かりやすく、適切な説明をすることなのです。

そして、治療が終わったら定期的なメンテナンスを行ない、生涯に渡って健康なお口の状態を保って頂きたいのです。

そして皆様に、

「歯医者に行くなら研歯科クリニックに行こう」
「研歯科クリニックに任せておけば安心だ」

という歯科医院であり続けたいと想っています。そして、患者様の真の健康と豊かな人生をサポートできる存在でありたいと願っています。

私達の医院の考え方に共感頂ける方は、ぜひご来院下さい。そして、健康で充実した人生を共に実現していきましょう。

当院のコンセプトと、患者様への想い

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